大物が捕食するタイミングは月齢に支配されている!「いつ釣れるか!」に迫る究極の時刻表「大漁時刻表」の紹介。シラガウニの販売も

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屋久島 前篇

2006年9月 執筆

クチジロの宝庫屋久島!

私のこれまでの釣り人生の中で一番の大物との遭遇、素晴らしい感動を与えてくれた島、悔しい大バラシの体験を味合わせてくれた一番思い出多い島が屋久島である!そして、屋久島のたくさんあるポイントの中でも一番思い出のある釣場が湯泊大瀬である。

湯泊大瀬は瀬渡船が出る湯泊港からわずか2~3分の右手に位置する名前の通り大きな岩礁の独立礁である。ポイントは東側を向いた上げ潮ポイントだけの瀬である。
釣場は船着き場と海をみて右手の端の大きく分けて2ヵ所。上げ潮は右手正面から当たってくる。大型クチジロを掛けても下の段まで容易に移動取り込み可能であることが最大の魅力。
港より近すぎ島の車両や人の動きや犬の鳴き声まで聞こえる場所の為、初めて渡り残念ながらアタリ無しでボーズを体験した釣り人の中には「つまらん場所に下ろすな!」と怒りをぶつける方もおられるらしい。気持ちは分るがこのポイントには居付きの魚は非常に少ない。撒餌を根気良く投入続ければ沖合いのスミカから早い時で翌日、又は翌々日には顔を出す事が多くある事を知っておきたいものだ。
潮合いの具合では4~5日間アタリ無しが続く場合もあるがそういう時こそ根性で攻める事が大事である。良型が顔を出し始めたら長く持続するのが湯泊大瀬の最大の魅力なのだ。それだけ近くの沖合いにクチジロの生息するスミカがある事間違いなしのポイントなのである。

 

天罰が下り、湯泊大瀬でウサギ跳び

私は必ず釣場に着いたら釣り座から本日の釣りを楽しく、安全に過ごせるようにお神酒を海と磯場の周りに注ぎ込む習慣がついたのはこの湯泊大瀬が出発点であったようだ。

釣り仲間の中野昭司さんと二人で山は積雪の3月に1泊2日にて屋久島遠征に行った時の話、中野さんはその年の1月にウマンバラにて71cm7Kgの大型クチジロを捕獲して気を良くしていた時期でもあった。
初日は二人とも大物狙いで中野さんは前回大物を釣り上げたウマンバラへ、私は湯泊大瀬に別々に渡礁した。磯上がりした時は非常に寒く、時折大きなミゾレが磯場の上を真っ白く覆うほどの風の強い悪天候の中でした。やっと昼前には雲も切れ太陽が顔を出しポカポカ暖かくなった。そんな中、用足しがしたくなり釣場を離れて後方の高場まで上がって見た。西の方には素晴らしい綺麗な虹が大きく出来ていた。それはすごくはっきりした虹で今まで見た事のない美しいものでした。小用を果たしたい私は北東の風が吹く為、風うらの方向しか用が果たせない。その前方には凄く綺麗な虹!
しかたない。我慢できない!
その虹めがけて用を済ませた瞬間でした我々男性しか持っていない一番大切な二つの「キン○○」がキューと縮込んでしまいビックリ仰天!すぐ岩場にてピョンピョンうさぎ跳び!
あ~びっくりした!あんな美しい虹めがけて用を足した「天罰!」この世の中にはやはり神さまがいるのだなと実感した。
すぐにバックの中に入れていた寒さしのぎの焼酎を出し半分を用を済ませた場所に残り全部を釣場の前方に清めのお神酒としてそそぎました。自分の口には一滴の焼酎も頂けなかった。
余談な話ですがその後2回、「おどおど」と用たししましたがなにも起こりませんでした。
その日は夕方まで下げ潮の半日の為せっせと明日午前中の上げ潮勝負の為、撒餌だけを入れ続ける退屈な日でした。夕方民宿に帰る途中酒屋にて明日の釣場にて使用するお神酒を準備、それを見ていたアルコールを全然飲まない中野さんも同様にお神酒を準備して明日に備えました。
2日目一番最初にお神酒を釣り座一帯に注ぎ、戦闘開始!昨日とは打って変って無風の快晴。お神酒の効果?二人とも3Kgクラスの良型イシガキ鯛3枚も遭遇出来た遠征となった。この日より現在まで必ずお神酒持参が習慣になった私です。
ちなみに私は仏教学校出のクリスチャン!ある時は神徒、いい加減な神頼みの石鯛崇拝者なのである!

 

屋久島七瀬との出会い

屋久島の中で30年前の磯がそのままタイムスリップして残っている場所は七瀬(鳴瀬)しか残されていない。 まだまだクチジロの生息し残留している釣場で、自然条件と潮位とがよほど好条件で重ならない限り釣り人を受け入れない場所である。

屋久島通いをしていてもまさか七瀬に渡れるとは思ってもいなかったその日、船長が「明日大阪の川辺さん(当時70歳前後)と二人七瀬に行こう」と言われる。
七瀬は危険と聞いていたのでビックリした。川辺さんは若い頃何回も七瀬を攻めたベテラン釣り人だとの事「ポイントはすべて川辺さんから聞きなさい」船長が立ち上がり明日の潮位では瀬上がり時間では腹を指さしヘソぐらいは濡れるかも、泳ぐ心配は無いとの事、安心して眠る。

朝6時起床。生まれて始めて七瀬にての石鯛釣りである。わくわくにて港まで車を飛ばす。
栗生港から何と船外機の小船での瀬上がりとなる!港を出て10分にて夢の七瀬に初渡礁。凄いゴツゴツした足場の悪い岩場が船着き場であった。
そこから直線で20m先が釣座なのだが迂回して足場の悪い岩場を重い釣道具、餌類を背負い歩かねばならないのが苦痛!最後の5m場所に問題の溝がある。
夕べ船長が「へそあたりまで浸かる」といった難所であった。私は先頭で進む・・・が足を踏み入れた途端、私の首近くまで落込んでしまうそうなればもう泳ぐのみである。
全身ビショビショ濡れでやっとの思いで釣り座に到着!後方の年配の川辺さんはそのまま歩いてこられた。それを見て「ハッ」と気が着く。船長もご年配の川辺さんも二人とも180cm前後の大男。
私は157cmしかない小柄な体系!ヘソがクビになるはず!「まいったまいった」の七瀬初渡礁となった。七瀬のポイントは凄いの一言。
正面には大きな沈み瀬が横たわり右から左方面(沖へ)に幅10m前後の大きな水深6mの溝を釣る。今まで経験した事のない釣場だった。瀬の周り1キロ四方がこのような浅瀬地帯である。
南西の風でも吹けば30分もせぬ内回収不能になる危険な場所というのが一目瞭然で分った。だから30年前の磯がそのまま残っているわけである。まずは撒餌をポイントに投入。
仕掛けを造り第1投!竿掛けに置くと同時に急激な締め込みに会う。
水深がない為魚との力のやり取りが力強く面白い。引きを味わいながら3Kgクラスの型の良いイシガキ鯛を幸先良くキープ!
2投目からは浅い水深で魚とのやり取りをしたせいで警戒したのか餌の喰い方が変ったようで、置き竿で待っても喰い込まず手持ちで攻めた。2枚目はなかなか走らずやっとの思いで走らせる事ができた。

川辺さんは和竿で餌は伊勢えびをナイフで解体して木綿糸でグルグル巻きにして投入。手間が掛かるせいで私が2枚キープした頃やっと第1投となる。
すぐに竿先を押えるアタリは出るが押さえこまない!水深が6mとない為か?なかなか食い込まない・・・そのうちえさを盗られスカバリとなった仕掛けの回収となる。
新しい餌を付け替え投入。たしか伊勢エビの足を束ねた餌だったと思う。私もシラガウニの芯4個掛けにて投入手持ちで待つ、すぐアタリが出る少し竿先を下げるだけで強烈に締め込み、合わせを入れる。
竿が弧を大きく描きリールから糸がジージーと出る大型の感じ。丁寧に竿でかわしながら水面に浮かせるが残念ながら引きの割には57~58cmの4Kg弱の小型クチジロだった。私の前方でかまえておられる川辺さんの竹竿を上手にかわして取り込みを終える。
私はもう3枚良型をキープしたので少し遠慮して投入ペースを落とし残りのウニ殻撒餌をコマメに全部入れてやった。その時、先端に設置していた和竿が根元まで舞い込んだ!高齢の川辺さんは素早い機敏な熟練を感じさせる動作で竿に飛びつき、竿起こしにかかる。見事竿を立てる。巻き取りにかかる。一連の動作が流れるように動作していた。
獲物がもう海面に姿を現すかと思う頃すさましい強烈な最後の締め込みで先端の岩を右手に走られて残念ながら道糸30号が飛ばされてしまった。大きい70cmクラスはゆうにあったと思われる引きであった。
残念ながら大バラシの後は二人とも何のアタリも無くなったがこの年配の釣師の一連の動作が脳裏に今でもはっきり焼き付焼き付いている21年も前の釣行の思い出である。
今まで350回以上屋久島釣行しても七瀬(鳴瀬)が渡礁を許してくれたのはわずか7回である。狙って乗れる場所ではないこの場所は釣り人の侵入を拒み続けた残されたクチジロの秘境である事には間違ない。

 

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