大物が捕食するタイミングは月齢に支配されている!「いつ釣れるか!」に迫る究極の時刻表「大漁時刻表」の紹介。シラガウニの販売も

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大漁時刻表web版石鯛餌通販

 

屋久島 前篇

2006年12月 執筆

竹島防波堤石鯛釣り初チャレンジ理由は?

平成12年3月釣り仲間と居酒屋で石鯛釣りの話で盛り上がって居る時、「たまには定期船で竹島へ行こうか?」と釣クラブの長老?石川忠伸氏が言い出す。すぐ山本慎太郎氏も同調する。そうと決まれば即実行!・・・だがどの様な段取り行程で、定期船利用の竹島行きを実現させれば良いのか方法がまったく解らない。手探りでまずは鹿児島市内の三島村役場観光課に電話を入れると、受付の観光課の女性職員が丁寧に三島丸の出港時間、宿泊先などの資料をFAXしてくれた。それによると定期船三島丸は毎週火・木・土の午前9時鹿児島新港を出港するとの事である。今回は初めての定期船利用の釣行で火曜日に出て金曜日に帰る3泊4日の釣行計画を立てた。
そして、観光課の方から紹介された竹島在住のベテラン漁師中川さんに電話を入れて、釣果情報などを聞いた。75歳の現役漁師さんで面識が無いのに親切でいろいろな事を聞くと今度お逢いするのが非常に楽しみになった。
そして3月中旬の火曜日、我々3名は撒餌とシラガウニはもちろん焼酎、猪肉などお土産をどっさり買い込み出発した。平均年齢55歳、釣人の就学旅行気分のお遊び釣行となりそう。たまにはこういう釣りも良いもの、鹿児島まで高速道路を走る、いつもなら深夜なのに今回は朝、なにかいつもと違う。

午前7時半には鹿児島新港に到着。乗船手続や荷物をコンテナに詰め込む作業を終え8時半には乗船、早速ビ-ル、焼酎を出し小宴会となる。いろいろ釣り談義をしているうちに船は指宿沖に達する頃、さすがに錦江湾から外海に出れば波が高く揺れが大きくなった。3名とも慌てて横になる事にした。1時間はぐっすり熟睡したその時、竹島港入港を知らせる艦内放送が大きく流れビックリして目を覚ます。

竹島には枕崎から直行瀬渡船にて100回以上は通っている島なのに定期船にて入るのは初めてだ。何かいつもと違う新鮮さを感じた。島の岸壁からいつも渡って釣りをする磯場が違う形で見えた。岸壁で3人は心細く立っていると漁師の中川さんが近寄って来た。お互いに挨拶を交わす、なかなか感じの良い方であった。彼は我々の荷物を島の人達の車に無理やり載せて宿舎の前まで運ぶ様に頼んでくれた。乗り切れない荷物は昔懐かしいリヤカ-を貸してくれ始めてリヤカ-を引いて宿舎まで運んだ事が印象的に残っている。1日目は釣場が決まらない為釣りは取り止めにした。島を探索したくなり中川船長に思い切り自動車を1日貸してもらえないか頼んでみた。彼は気軽に引き受け郵便局の仕事をしている山崎さんから軽自動車を借りる交渉をして下さった。島に上陸して見れば島は大きく歩いて行動できるものでは無い!我々は車が利用出切る事を大変感謝した。それから島中をゆっくり走って見た。オンボ瀬とかコモリの平瀬などいつも渡って釣りを楽しんでいるポイントが道路から遥か70m程眼下に見えた。道具、餌類を担いで下まで降りるのはたいへんな作業に思えた。その夜は車を貸して貰ったお礼で猪肉ですき焼きを造り島の人達を招待して見た。なんとその場に15名程の島民が焼酎や差し入れの魚やツマミなど持参されその夜は盛大な宴会となって深夜まで楽しくすごした。お陰で2日目は二日酔いで早朝からの釣りができず午前9時頃やっと起き上がる状態であった。

そんな時朝早くから伊勢海老漁の網上げを済ませた中川船長がニコニコ笑いながら宿舎に顔を出された。今晩は昨夜のお礼で私達が皆さんを招待するからと言って帰られた。体調が悪い為、遅い朝食はそばを湯がきざるそばにして3名でペロリとたいらげた。釣り道具を車に乗せスタ-トしようとした時外は大雨となる。しかも雷が鳴る。鳴る・・・凄い!ピカッド-ンと今まで聞いた事のない大きな音!雨はドシャ降り!もう釣りどころじゃない。3名とも再度部屋に逃げ帰る。

12時になっても雷と大雨は続くとうとう部屋でゴロゴロ。テレビの無い部屋で携帯ラジオの音楽を聞きながら私は仕掛け結び山本氏はひとり昼間から焼酎をちびちび飲みが始めた。石川氏はグ-グ-寝ている。雨が止んだのは午後3時頃先程の雨、雷がウソ見たい、雲一つ無い快晴となる。そうなると三人の釣りバカトリオは何処でもかまわず竿が出したくなる。結局、石鯛の期待がもてない?定期船の着く港の外防波堤にて竿を出す事にした。午後5時わずか2時間の釣りで日没を迎えてしまった。アタリも無いのに誰一人止めようと言わないのが滑稽であった。

薄暗くなった5時半頃、防波堤をライトを付けたバイクが近づいて来た。中川船長だった。「今日は6時半に夕食にご招待するので迎えに来た」との事。それから皆で坂道を2K程度テクテク登って行った。集落の中心に立派な2階建ての建物があった。竹島は人口70名前後で家屋は30棟程度のこじんまりした島である。案内された場所は1階が役場の支所と郵便局であった。その2階の1室のドアを開けて、ビックリそこは離島レクレ-ション施設・・・カラオケ設備もあり照明も雰囲気も完全に高級クラブ感覚の場所であった。カウンタ-で焼酎の水割りを作るマスタ-は郵便局の局長さん。ホステスさんは昨日焼肉会に参加された漁師さん達の奥さん達である。

こうなればもう飲むしかない!盛り上がってカラオケで歌っていると下の道路を歩いていた島民の方までオ-プン参加、たちまちこの施設超満員となりこの日も深夜遅くまで飲んでしまった。

3日目は2日間釣りをしなかった為、大量の餌が余ってしまいそれを担いで70m下の地磯を攻めるのは体力的に無理!断念して中川船長に沖の一文字防波堤に渡してもらう事にした。防波堤釣りはよほどの事がない限り利用しないが今回はしかたない。3日分の大量の餌をこの防波堤に運んだ。結果的にはこの事が将来役にたつとはこの時点では知る余地はなかった。その日はシラガウニ90Kgウニ殻撒餌120Kg赤貝30Kgを潮の当たる場所に1日がかりで集中してまいた(本当は飲み方で余った大量の餌の海中投棄である!)がこの日は小さなアタリが何回かあったが食い込みまでにはいかず全員ボ-ズで終えた。この釣行は島民との親睦を図る有意義な修学?旅行となってしまった。

 

あの防波堤に幻のクチジロ石鯛が!

それから2週間後の平成12年4月7日(日)。この年の2月に私の長女が結婚。初めて出来た義理の息子新地治君とその友達たちを誘い竹島釣行を実行した時の話。

一般客の方はそれぞれ各磯に降りて行った。(前回の釣行に参加した石川さんはコウリヤマ瀬に山本氏はモリヤマ瀬へ)私はまだ石鯛と遭遇した事のない新人6名と始めて離島遠征を経験する2名を連れて一文字防波堤に乗る。竿のセットの仕方から仕掛けの結び方など忙しい思いをして仕掛け造りの新人さんの手助けをしてあげた。どうにか全員が第1投を終えたのは午前7時頃であった。それから自分自身の仕掛けを作り前回大量の撒餌を入れたポイントは下げ潮ポイントであり、まだ上げ潮が動いている時間帯の為誰もこのポイントを利用していなかった。私が餌を付けて投入する前に潮の動きを観察すればすでに上げ潮が緩みだした時間帯であった。第1投からアタリが出る!3投目には2kgクラスのイシガキ鯛を新人さんの目前で釣る事が出来た。ひと安心で面目が立った。後は新人さん一人でも多く石鯛の感触を味合わせる事が出来たら最高だ!まずは、新人8名にアタリが続いているのでこちらに移動して来る様に促すが素直に動いたのは新地君と那須雄一郎君の二人だけであった。ここで大型との出逢いがはっきり別れた!

新地君はダイコ-製のガンガゼという胴調子の石鯛竿だった。今まで私が釣って居た場所の一番端のピトンをそのまま貸してやる事にした。彼は真面目にコツコツと釣り始めた。30分程経過した時彼の竿が強引に舞い込んだ。横に居た新地君は竿に飛びつき「まだ早い!」と私が怒鳴ったが間にあわずいきなり大合わせを入れてしまった。残念無念!スッポ抜けてしまった。魚とやり取りはしていないのでダメ-ジを与えていないのが救いであった。竿が胴調子なので置き竿で舞い込むまで待つように伝えた。

隣に陣取った那須君は置き竿で攻めているが「当たりが出るが食い込まない?」「まだ手持ちで攻めた事がない」と正直に言うのでアタリが出た時に彼と向かい合い送る動作を教えてあげる。その時アタリが止まった。「こう云う時は竿先を40cmぐらい持ち上げて見れば良い」その通りにすると再びアタリが出だした。そのままゆっくり付いて行けば良いとアドバイスを入れ横に離れて那須君一人でアタリに付いて行かせた。竿先を海面近くまで送った時、凄い締込みに突然変わった!凄いやり取りだったがハリが小さいせいかスッポ抜けてしまった。那須君にとっては初めての大型との遭遇で興奮し顔色も真っ青となる。この時点では誰もこんな場所に大型口白石鯛が居るなんて思ってもいなかった。それから10分後又、新地君のシラガウニ丸掛けの竿にアタリが出た。グ-ッと突っ込むが一度失敗した彼は几帳面な性格で指示に忠実であった。

竿掛けの横に構えるが竿には手を付けない!竿は半分曲がった状態で動かない!まだ、我慢して待って居る・・・沈黙、諦めかけたその時、曲がって居た穂先がフワッと元に戻った。私が「食い上げだ!」と叫んだと同時に竿は見事に元竿まで一気に曲がり込んだ。

彼は学生時代剣道4段の腕で彼の竿を立てる一連の動作は腰が入って両腕の脇の締め方、魚の引く力をすべて竿に乗せる動作も完璧な動きであった。

私は正直なところこんな防波堤では大型フエフキ鯛か大型外道では?と思い。魚と必死にやり取りしている彼の横で浮いて来る正体を軽く見ていた。ところが水面した3~4m浮かせた物体は青白く見えた!とっさに「クチジロ!」と叫んだのまでは覚えているが、それからが大変掛けた本人より私は舞い上がり後はどのように行動したのかまったく覚えていないが海面まで届かないので寝転び玉網で掬ってやったらしい。

みんなは私が海に転落するのじゃないかと心配したそうです。

これがまた立派な待望の70cmオ-バ-のマンモス級の大判でした。

那須君が遭遇したのも多分口白石鯛であったと思われます。この年の5月の西日本釣り選手権優勝の安部さん(大分)、その翌年九磯連盟選手権優勝の大重さん(宮崎)らがここで釣った優勝魚が現在も大会記録として輝いているなど、70cmクラス多数遭遇する安全な超一級ポイントに変貌したのも3名のベテラン釣人の飲み方釣行が原点であったようです。

これからも撒餌を入れ続ければ素晴らしいポイントが生まれる可能性が特に離島にはたくさん残されると確信しました。


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